時の流れ、あたりまえの日常。
- 2015/11/17
- 18:50
11月も半ば。
『日暮れがはやくなりましたね。』
いままでに
もう何十回このフレーズを思い、
口から文章から発信したことでしょうか。
それでも毎年、
思うんですよね。
でも
毎年同じフレーズを発していたとしても
全く同じ感覚はひとつとしてない。
その時々、
違うことを感じながら
その感情が湧き起こっている。
ただその違いは
心身の余裕がある時でないと
日々の忙しさにかき消されて
気づくことができない。
そして
歳月を重ねていく上での様々な経験から生まれる
複雑な感情・想い出が
ふとした自然現象や情景などと絡み合ったとき、
心に留まるものになるのでしょう。
夕暮れに染まる空を見上げたとき、
手をつなぐ親子の後ろ姿、
車窓からみえた川の流れ、山の稜線、
高層ビルの長い影、
どこかから香る美味しそうな晩ごはんの匂い、
なにかを言い合っている野良猫たち、
どこかから聞こえてくるX'mas song、
挙げたらきりがないですね。
私がこのクトウテンを高円寺にOPENして
四度目の年末を迎えようとしているわけですが、
知らず知らずのうちに
高円寺北のこの風土に馴染み、
あづま通りのBGM(今はなくなりましたが)や
郵便配達車の方が
歩行者天国の看板をどかす音、
お散歩するわんちゃん、
ご近所さんの行き交う声など
あたりまえになっている光景が多々あります。
そして
週に一度、月に一度、
よく来てくださるお客さまとの交流も
私にとってはかけがえのない日常で
いつものタイミングでお顔が見れなかったりすると
心配になったりするのは
地味ではありますが
みなさんと共に
ひとつとして同じはない有難い交流を
この空間で育んでいる証拠かなと思います。
だんだんと
何をお伝えしたいのかが
ぼやけてまいりましたが・・・
「時の流れ」
これが全てと思います。
時の流れによって
心のひだが増えて複雑になり、
時の流れによって
様々な関係が育まれ、
時の流れによってしか
癒えない傷があり、喜びがあり、
時の流れに逆らうことはできず。
クトウテンという一軒のお店が
時の流れを経て
いつしかここに在ることが
あたりまえの日常になって
ここで会話をすることが
愉しみの一環になったりしたら
その時やっと、
私も少しは他人様のお役に立つことができるのでしょうか。
そんなことを感じて
今日はクトウテンコラムを書いてみました。
あたりまえの日常を
大切に。
いつも本当にどうもありがとうございます。
